「古代エジプト時代に遡り、音、音楽は“神の声”として“世界は音響的実体から造られる”と考えていた」と伝えられています。自然音、つまり海鳴り、山鳴りなどの風雨、波、音などがかなでる音を神の声として、また、人間の歌声も霊感のある人間に神の声が乗り移ったと考えていたようです。従って、当時は音や人間が奏でる音楽によって神との交流が図れると信じて、神への祈りの場で音楽を用いるようになっていた訳です。又、この時代では“病に罹る事”は神の怒りに触れた結果と信じられ、故に病を癒す手段としては呪術師、マジナイ師たちが、病人の前で祈りを捧げ音楽を奏でて、神の怒りを鎮める方法をとった訳で、この儀式が音楽療法のルーツともいえるでしょう。
1284年の6月26日、実際に起きた事件だそうです。この頃、ヨーロッパではネズミが大発生していました。そこに現われた笛吹き男が、笛を吹くと不思議にネズミたちは男のあとを追います。男はそのまま海にネズミを飛び込ませ、退治してしまいました。しかし、町の人が報酬を払わなかったので、怒った男は笛を吹きながら子供たちをどこかに連れて行ってしまいました。これはイギリス音楽療法協会創設者、ジュリエット・アルバンの著書の中にも音楽の不思議さの例えとして出てきます。 わが国の神代の時代に、天照大神が天の岩戸に閉じこもった際に、彼女の怒りを鎮めるために、岩戸の前で他の神々が音楽や踊りを捧げたという神話がありますが、我が国でも音楽を神との交流の手段と考えていたと思います。
素晴らしい演奏を聴き、感動すると体が震えたり涙が出たりするのは、脳から麻酔の作用があるエンドルフィンを分泌するからではないかと言われています。エンドルフィンとは、視床下部から出るホルモンで、簡単な構造を持ったアミノ酸系の一種です。モルヒネの30倍鎮痛作用があり、依存性は全くない、幸せな時、陶酔した時に出ることが特徴です。また、エンドルフィンが免疫を左右することや創造性と深く関係していること、エンドルフィンを出している人はボケないこと、音楽を聴いたほうが長生きできることが科学的に解明されています。貧困の中、発疹チフスで亡くなったシューベルトは、なぜ美しい作品を生み続けることが出来たのでしょうか?それはエンドルフィンという一種の麻薬が脳内に出続けたため、食べるものも食べずに作曲に没頭できたからではないかと思われます。快感や陶酔感をもたらすエンドルフィンは、音楽療法の効果の一つである「ペインコントロール」と結びつくと考えられます。今後、この2つの相関関係が科学的に検証されることが望まれます。
ドレミのような音の高さがなく、高い音、低い音、硬い音、暖かな音、残響の違い、音の強弱、アクセント、リズムとフレーズ、これらの組み合わせから実に様々な表現の世界が生まれます。何よりも音を出した瞬間に体に直接返ってくるあの響きは他の楽器にはないものがあります。そして、うまい人は呼吸がうまいのだそうです。体の使い方、気持ちのありよう、呼吸などがそのまま音に出ます。
ただリズムを刻む決められた音を打っても意味がありません。「生きた音」にするには単調な基礎練習を果てしなく繰り返し、人の音を聴きその中で自分を表現していくことが必要です。演奏者全員の息がぴったりと合ったときに生まれる快感もあります。そして和太鼓が最近ブームになっています。演奏会に行って楽しむほかに、最近では実際に自分で太鼓を打つ人達が増えてきているとマスコミも伝えています。
テレビでは髪の色に合わせてバンダナ風のハチマキをして、真っ白な上下のスーツに身を包み、スタイルのよい若者が激しいリズムで舞うように体を操り、回転し、ピタッと最後にバチの音で決まる。あのパフォーマンスとリズムスポーツ感覚の映像を見て、これが今風の和太鼓の形?別の意味での“かっこよさ”と新鮮さを感じました。ここで恥ずかしながら私と和太鼓の出会いについて触れてみます。
ここエスパワーにも3月より和太鼓教室が開講され、受付の方からお誘いを受けたときは正直言って「何言ってるの?50歳の私に勧めるなんて。どうせ足腰痛くなるのが落ち」と心の中で思い渋々でした。私も音楽療法については少しばかり学んできたので、和太鼓やドラムの響きが体に良いことぐらいはとっくに頭では理解していましたし、以前に河手政次氏の馬簾太鼓のステージで共に打たせてもらい、多数の太鼓の響きを客席で聴いて、おしりの方から怒涛のような響きを感じたのを今でもよく覚えています。
その程度で全く私にとっては無縁の世界でした。ですから、まさか自分が実際にバチを持って指導を受けるなんて全く思いもよらないことでした。そして最初の数回は、太鼓をたたく前後にストレッチをして十分に体を解してから始めるにも拘わらず、帰ったその日は太腿は痛くて汗びっしょりで、すぐシャワーを浴び、何もせず、そのままバタンキューという状態で、翌日駅の階段に上がるような日には足がガクガク…でも今は太鼓歴の長い平井先生のやさしく上手なご指導のお陰で体も慣れたせいか、苦しさから楽しさに変わってきています。又私の場合は太鼓そのものより、ストレッチと汗をかくことが健康維持のためになによりと思っています。少しでも興味をお持ちの方は是非一度見学にいらしてみてはいかかでしょうか?
先だって、鯰江先生が太古先導役(ファシリテータ)の方と太鼓に向き合って実践された時の感想を聞かせていただきました。それは、鯰江先生が自由に何もリズムにとらわれずに自然体で打ち続けていると指導の先生がそれに合わせてくれて、いつの間にか共鳴し合い、一体となり、リズムも合って心地よさが感じ取れたとの事。しかも経験がないのに、おほめの言葉が返ってきたそうです。
これは私が学んだ音楽療法の最も大事な原点と全く同じで、太鼓に限らず、いろいろな楽器についてもよくいわれます。「その場で感じ取って率直に行なう」無計画という計画、即興に当てはまると思います。その人の可能性を見つけ、伸ばしていく、病気が治る治らないということにはとらわれない、それが心理療法の基本的な姿勢といいます。
教えるとか指導するという姿勢をかなぐり捨てクライエントから学ぶ、それはつまりクライエントに主導権を委ね、クライエントを全面的に受け入れることです。そのためには先ず、セラピスト自身が自分を受け入れ、自然体で素直で取り繕わないことです。かといってデタラメとは別だと思います。ですからこのように相手の感性を直感で即つかみとる力が求められるので、只音楽大学で学んだ理論だけでは少し無理があると聞きました。簡単な様で非常に難しい世界とも言えるでしょう。
私の妹もダウン症ですが指導的に“ハイ・・123”とか拍子をこちらから指示すると全然反応しません。妹の方からリラックスしてご機嫌で唄い出したり、踊り出したりした時にすーっとこちらがその気分に誘われ、入れさせてもらうという方法にすると本当に楽しく共有できます。ですから潜在的に持った本人にしか出来ない独特のリズム感を持っています。又、いろいろなジャンルのサウンドにすぐイメージをつかみ、体を動かします。能動的に働きかけると返って本来の音楽的能力を壊しかねません。